Furukawa Electric技術革新の歩み

since 1884

古河グループの創業者である古河市兵衛は、「日本を明るくしたい」という思いで新しい日本づくりに邁進しました。

私たちは市兵衛の思いを継承して「世界を明るくする」ことに大きな使命感を抱いています。

これからも古河電工グループは、絶え間ない技術革新によって、
当社グル—プの理念として掲げた「持続可能な社会の実現」に貢献してまいります。

  1. 1884
  2. 1900
  3. 1960
  4. 2000
  5. 2016
  1. 創業・黎明期
  2. 日本の社会インフラ整備に貢献
  3. 海外への進出
  4. 多彩な固有技術で人と社会を支え続ける
  5. 社会課題の解決に向けた新技術・新サービスの開発を強化

1884~ 創業・黎明期

当社の起源は、1884年に古河市兵衛が東京・本所で始めた精銅業と、同時期に横浜・高島町で山田電線製造所が電線製造を開始した時期に遡ります。

古河グループの創業者である古河市兵衛は1832年(天保3年)京都に生まれ、持ち前の商才から当時豪商であった小野組の重役となりました。1877年に足尾銅山の経営に着手。幾度かの危機を乗り越え、日本一の大銅山に発展させました。

当社の社章である「ヤマイチ」マークはこの年に「鉱業専一」(鉱山業に専念すること)として制定されたものです。

その後、1890年に我が国最初の本格的水力発電所を建設するなど、欧米の最新の技術を導入し、業容を拡げ、古河グループの基礎を築き上げました。

本所鎔銅所、山田電線製造所の開設

日本初の電気分銅の試験操業を開始

電気銅線製造を開始

1900~ 日本の社会インフラ整備に貢献

当時、まだ未成熟だった日本国内の電力・通信需要に応えるため、当社はゴム電線や綿巻線などの製造を拡大し、1915年には国産初となる海底電線を製造しました。その後も、当時最大の電波塔であった東京タワーにアンテナを設置するなど、世界最高品質の技術力で日本の社会インフラ整備を支えてきました。

この一方、1911年に鉛蓄電池の研究開発を開始し、1917年に横浜護謨製造(現在の横浜ゴム)、1923年には富士電機製造(現在の富士電機)、1959年には古河アルミニウム工業(現在のUACJ)を設立するなど、事業の多角化にも早くから取り組んできました。

日本初の海底電線を製造

対馬海峡に世界初の無装荷搬送海底ケーブルを敷設

東京タワーにアンテナ・給電線を設置

1960~ 海外への進出

当社の技術力を世界に広めたいという思いから、この時期から本格的に世界市場への挑戦を開始しました。中東・東南アジアなどで実績を積み重ねつつ、東南アジアから遠くブラジルにまで製造工場を建設、今日に至るグローバル化の礎を築きました。

また、1987年には、新たに横浜へ研究所を新設し、世界をリードする様々な新技術・新商品を生み出してきました。

全自動高精度6段圧延機を開発

タイ・バンコク市内の通信網を整備

世界初の光ファイバケーブルのフィールド試験に成功

ブラジルにアルミ電力ケーブル製造販売会社を設立

世界で初めて光ファイバ複合OFケーブルの実用化に成功

2000~ 多彩な固有技術で人と社会を支え続ける

これまで強みとしてきた「メタル」「ポリマー」「フォトニクス」「高周波」の4つの技術を核として、技術の高度化や気候変動などの環境変化に対し、多彩な固有技術で人と社会を支え続けてきました。

米国ルーセント・テクノロジーズ社の光ファイバケーブル部門を買収

欧州合同原子核研究機構より超電導線材で特別賞受賞

「浮体式洋上ウィンドファーム実証研究事業」に参加

蛍光シリカナノ粒子を用いた高感度イムノクロマト検査キットを開発

世界トップクラスの導電率、カーボン・ナノチューブの開発に成功

レアアース系超電導線材を用いた永久電流技術の開発

2016~ 社会課題の解決に向けた
新技術・新サービスの開発を強化

“「地球環境を守り」「安全・安心・快適な生活を実現する」ため、情報/エネルギー/モビリティが融合した社会基盤を創る。”という「古河電工グループ ビジョン2030」のもと、さまざまな社会課題の解決に向け、パートナーとの共創強化も行いながら研究開発に取り組んでいます。

横浜にオープンラボを新設

高速大容量通信を実現する狭線幅・高出力の小型ITLA の開発に成功

世界最高水準のコア密度、細径超多心光ファイバケーブルを開発

浮体式洋上風力プラント用超高圧ダイナミック海底ケ-ブル開発業務を受注

再生エネ活用の本命「バイポーラ型蓄電池」 リチウムイオン電池比でトータルコスト1/2実用化へ

Blue-IRハイブリッドレーザ「BRACE™」販売開始

古河電工の歩み