F-style02

文化や常識の異なる仲間と成し遂げる仕事は、格別の達成感をもたらしてくれる。

OFS Fitel LLC

光ファイバケーブル・ソーシングコーディネータ

中島 勝

きっかけはフラストレーション

通信分野に進もうと決めたのは、大学の研究室でのふとした瞬間でした。研究対象の画像をダウンロードしていて、たった1枚の画像が数分かかって上からズ、ズズズっと表示されていくのをボーっと眺めていた時です。「こんな便利なのに遅い。。。何とかしないと!」

古河電工に入社して19年強、一貫して情報通信の光ファイバ及びケーブルに携わっています。開発・生産技術・営業・製造といった異なる分野、日本・アメリカ・ドイツの異なる土地での経験を経て、現在は海外子会社の米国OFS社でケーブル製品のグローバルソーシングとそれに伴う技術支援などを行っています。

キャリアの中での海外勤務

自分のキャリアを振り返った時に、やはり目に付くのは海外勤務の多さ・長さでしょうか。

初めての勤務は米国OFS社へ生産技術エンジニアとして、2回目はドイツOFS社へ製造課長として、現在が3回目で米国OFS社に籍を置いて世界各地のケーブル製品拠点を繋ぐソーシングコーディネーターをしています。

全て合わせると丁度10年。振り返るとまさに走馬灯の如しなのですが、そのやりがいや原動力といったものは場所や職種を問わず一貫して変わっていないように思います。全く異なる文化背景や常識の中で、自分の考えている事を辛抱強く伝え、ローカルの仲間と共通認識を築く。ローカルの良い所は取り入れる。それをベースにして何かを一緒にやり遂げる。

いつもうまく事が進む訳では無いのですが、その達成感は格別です。日本のQCストーリーを活用した初めての製品不良改善、ローカルのざっくりとした計画に緻密さを足して、最初は嫌な顔をされながらも最後はみんな納得してくれた設備立ち上げ等々。今思い出しても汗をかいてしまうくらい大変でしたが、それら全てが今の日本・アメリカ・ヨーロッパ・ロシア・ブラジル・東南アジア間で共通した製品への理解を求められるグローバルソーシングの活動に繋がっていると思っています。

私なりのコミュニケーション術

この海外勤務のキャリアの中で、最初に躓き、最も学び、今でも苦労しているのはやはりコミュニケーションです。

例えば、5Sの話をしていると「きれいな状態」の定義が違うと言われたり、製品について現地のメンバーは緑色と言うけれども私には深緑に見えたり、店員から甘くないと聞いて頼んだケーキが砂糖の塊のようだった、等々。

表現する言語、ニュアンス、文化背景、常識などが元々違うんだという認識を持ち、だから何故必要なのか、何故そうなるのか、具体的な例などを説明をすることによって、一方通行や終着点の無いコミュニケーションを防ぐ事が出来るような気がしています。

それを実行するにあたって常に念頭に置くようにしているは、「良し悪しではなく、ただ異なるだけ、そのギャップを如何に埋めるか」だと思います。Respectを持って、但し自分の主張ははっきりと表現することを日々心掛けています。

感謝、Thank you、Vielen Dank!

少し変化の多いこれまでのキャリアを振り返ると、やはり多くの方との出会いに恵まれ、その影響が確実に自分の助けになっていると実感します。

ここではとても挙げ切れないのですが、入社直後にエンジニアの姿勢や3現主義を指導して下さった溝田義昭さん(現・当社監査役)、初めての米国勤務時に適切な指導とヨーロッパなどへの業務の幅を広げて下さった木村隆秀さん(現・当社執行役員専務)、海外営業部で多面的な見方や筋読みといった事の大切さを教えて下さった枡谷義雄さん(現・当社グローバルマーケティングセールス部門グループマーケティング統括部長)、OFS社でRespectを持って接してくれる上司や同僚。

私の都合で連れまわしている家族。楽しい事ばかりではありませんが、特に子供たちには経験を選択の幅広さとストロングポイントに変えて、成長していってほしいと思っています。

プロフィール

1999年 古河電工入社、千葉事業所で希望していた通信事業部門に配属、光ケーブル開発に従事
2007年 米国OFS社、生産技術エンジニアとして勤務、コミュニケーションに苦労。ジェスチャー能力向上。
2010年 古河電工本社、海外営業部勤務。初めてお客様の声を聴く。
2013年 ドイツOFS社、製造課長として勤務。
2017年 米国OFS社、ケーブル製品グローバルソーシングコーディネーターとして勤務。

OFS Fitel LLC
光ファイバケーブル・ソーシングコーディネータ
中島 勝